地震のフォロー

ということで9月14日の朝を迎えた。念のためテレビをつけても特に速報も騒ぎもない。ジョセリーノの予言は外れたのだと知った。今回の予言は、8月のものとは重みが違っていて、彼についての全ての書籍で取り上げられているし、来日した際のテレビ放送でも強調されていた。

予言について教えてくれた実家の父に電話した。8月の時はふざけて「いやー、すごい地震だったね」と話しかけたけれど、予想以上にしょんぼりしていたから、今回はふざけないで、「地震、なかったね」とだけ言った。どうやら父は予言のあった13日は夜遅くまで起きてテレビを見ていて、寝るときには枕元にニュースの速報を聞くためにラジオを用意していたという。やっぱり今回も元気がなかった。「まあ、ないにこしたことはないんだけどな」と前回と同じ言葉を二人で繰り返すが、どうしてもそこには「あるべきものがなかった」的な奇妙な喪失感が漂う。ジョセリーノも罪なことをしてくれるなぁと思ったが、自分としては、予言は本当だったがそれが事前にこれだけ取り上げられたことにより何かが変わってしまったような気がしないでもない。「秘すれば花なり」というと地震を「花」にたとえるのかと不謹慎をとがめられそうだけれども、あきらかにしてはいけないことはあると思う。