心の形

僕が購読している読売新聞の販売店さんでは、毎月一度古新聞の回収を行っている*1。明日は今月の回収日なので、朝起きて会社に出かける前に新聞を整理していたのだけれど、そのときひとつの記事を探していた。探していた記事は11/25の松井雪子さんのエッセイで、「兄の遺した言葉が聞こえる」というタイトルだった。

たまに新聞を読んでいると、何か心にひっかかる文章に出会うことがある。幸い記事が見つかったからこうして日記を書いているわけだけれども、探しているときには、おおよその掲載時期とその記事を読んだときの自分の心の形しか残っていない。書いた人も、内容も覚えていなくてもそれを読んだときに自分の心が反応した形は自分の中のどこかに記録されていて、探していた文章を見つけることができるとそれが探していたものであることがわかる。勿論探していたものを見つけられないこともある。そのときには自分が探していたものが何かわからずじまいとなる。そんなとき僕は、時間が有限であり、自分が経験できるものは限られたものであることを改めて自覚する。

僕は仕事用とプライベート用で2冊のスクラップブックを持っていて、気になる記事をスクラップしている。仕事用のものは仕事の関係のテーマで集められた情報で占められているけれどもプライベート用のものは、内容も分類も何の脈絡もない。だけれど、僕はそれを開くといつでもひとつひとつの記事に出会ったときの自分の心の形を思い出すことができる。スクラップブックはたまに開くこともあるけれども、それで何かを調べたりするわけではないからずっと開かないこともある。スクラップした時点で自分の中の何かは完結しているのだけれど、それはきっとスクラップをしたことのない人には理解しにくいかもしれない。

*1:僕はそれだけでも読売新聞を購読する理由があると思っている。