不揮発性記憶

月曜日の深夜、午前1時過ぎに歯を磨きながらTVのチャンネルをまわしていると、懐かしい声が聞こえてきた。「もうおわりだね。君が小さく見える」元オフコース小田和正さんのスタジオライブで、もう始まっていたのだけれど、僕はちょうど「さよなら」のイントロが始まったタイミングでチャンネルを変えたようだ。ビデオをセットしたから、そのまま寝ても良いのだけれど、なんとなくソファに座り直して終わるまで見てしまった(で、睡眠時間を削ってしまった)。

この曲がはやったとき、僕は北海道にいて、好きな女の子がいた。その子は高校生のときの同級生で、つきあうことはおろか、告白することさえもなかったけれど、朝起きてから夜寝るまでその子の事を考えていた時期があった。僕は曲を聴きながら当時のことを思い出して、そして自分の記憶の中のその子の情報を問い合わせてみたのだけれど、住所と電話番号を覚えていた。一度もかけたことがない電話番号、もうこれからもかけることがない番号をどうして、いつまで覚えているのだろう。不揮発性記憶みたいだなと思った。

生きていくということは、そうした記憶を蓄積しているということも言えるかもしれない。思い出してうれしい記憶も、そうでない悲しい記憶も。