堀江さんのこと

堀江さんがホリエモンになる前、オン・ザ・エッジという社名だった頃に二度会ったことがある。

うちの会社は今からちょうど10年前、1996年に開催されたワールドエキスポジションというイベントで、Nexsite(ネクサイト、利用者はよく「ネックス」と愛称で呼んだ)というコミュニティシステムを出展していた。そのシステムではDynamoと呼ばれるJavaのエンジンを使って構築されていた。当時Javaでシステムを組むということは、2006年の今Javaでシステムを組むのと全く事情が異なる。だから、そのシステムがJavaで実現されているということを知った時はとても驚いた(しかもうちの会社で!)。

Nexは、大変ユニークなシステムだった。ユーザ一人が自分の空間(カプセル)を持つことができて、ブラウザから自分のページのデザインやメッセージを変更したり、ユーザー間でメッセージを交換したり、自分でおとぎばなしを作って登録すること、自分と嗜好が近い他のユーザを捜したりすること等ができた。交換されたメッセージや訪問の記録から、その相手のカプセルを尋ねることができて・・・、とここまで説明するとNexがブログやWiki等今日使われている機能を実現していたことがわかってもらえると思う。

ただ、残念ながら本当のNexの良さはいくらこうした機能を説明しても伝わらないだろう。Nexに自分のカプセルを持ち、他の住人とメッセージを交換したりコミュニケーションをして初めて理解できる良さがNexにはあった。今でも覚えているのだが、Nexsでのユーザ登録にはyyyymmddの生年月日ではなく、星座を登録するようになっていた。それはとてもNexらしかった。Nexは大変評判が良くイベント終了後もしばらく利用できたが、もうだいぶ前に惜しまれながら閉鎖されてしまった(豊洲の本社ビルの11Fに置かれていたサーバは今どこにあるのだろうか・・・)。

説明が長くなった。一時、このNexsiteの次期バージョン(Nex2)を作ろうという話があがったことがある。僕はNexのプランナーやスタッフとメールを交換し、議論したが、その一人が堀江さんだった。堀江さんは、Mac使いでこれまで僕がメールを交換したあらゆる人達より早くリプライを返してきた。残念なことにNex2を作る話は流れてしまい、それと同時にNexの関係者との交流も終わってしまった。メールではそれなりの交流があったが、実際に集まったのはほんの数度だった(当然皆Nexにカプセルを持っているし、メールもあるから集まる必要はそれほどなかった)。堀江さんとは確か2度会ったと記憶している。当時は武田鉄矢風のいわゆるロン毛にしていたから、ホリエモンになってからメディアに露出している堀江さんは自分にとってはなんとなく堀江さんに思えないところがある。

堀江さんと僕のもうひとつの接点は、スピッツのページだ。こちらも残念ながら現在は利用できないが、エッジは当時「チェリーハイツ」と呼ばれるWebのコミュニティシステムを構築していた。チェリーハイツと呼ばれるマンションに各ユーザが自分の部屋を持ち住むという内容だが、それぞれが自分の部屋専用のチャットを持つことができた。掲示板は誰でも書き込めるようになっていて、久しぶりに自分の部屋を訪れると知り合いや知り合いでない人から書き込みが残されている。Nexのときと同様に名前には自動的にリンクが張られていて、その人の部屋を(お返しで)訪問できる。

チェリーハイツはNexに比べるとコンパクトで簡単なシステムだった(確かPerlで書かれていたと記憶している)。だが、素晴らしく洗練されていて、センスが良かった。僕は堀江さんに「チェリーは単純なのに、非常に素晴らしい。何故だろう?」と尋ねたことがある。その答えは、「それは僕が書いたから」だった。メンバーが書いたものを堀江さん自身が仕上げたのだ。普通の人が言ったら嫌みのある言葉かもしれないが、そのとき僕は素直に納得できた。

チェリーハイツはしばらく続いていたけれど、僕は何度か一方的に改善の案を書いて堀江さんに送った。それらに対する返事はあまり来なかったけれども、いくつかはいつのまにかシステムに反映されていた。ただ、自分が提案した拡張を含めその後拡張された機能は便利なものではあっても、むしろチェリーハイツの魅力を損なう部分があった。バランス、なのだと思う。

堀江さんは当時も馬主だったし、強い成功指向を持っていた。大企業に勤める時代ではなくて、起業する時代だと語り、強い信念を持っていた。僕は"Livin' on the Edge"という社名とそれを社名にするセンスが好きだった。Edgeが六本木の小さなビルに入っていたとき、まだスタッフも数名の頃に遊びに行ったことがある。ホームページには常に「人材募集」の文字があった。枕言葉は忘れたが、「六本木で働いてみませんか?」という言葉もあった。僕の中の堀江さんは、今も当時のままだ。堀江さんがこの日記を読むことはないだろうし、読んでも僕のことを覚えているかわからないけれども、hard timesを過ぎたら久しぶりに会ってみたいと思っている。