文章を書くという作業

今日は最近定例になっている長〜い打ち合わせがないので、自分の席に座って考え事をすることができた。考えてみると、外出も打ち合わせもない日は最近ほとんどない。たいしたことをしていないのに忙しくて、時間がない。時々そのことを考えると少しむなしく思うこともある。

自分の作業キューにある仕事のうち、一番やりたいことはシンクライアントに関する原稿の執筆だ。なかなか書けない理由のひとつは、物理的な時間(思考する時間、文章を書く時間)がとれないことだが、それ以外に「自分が知らないこと」も書かないといけないことがあることに気がついた。たった6ページの原稿だが、論文を2本書くような感じだ。

僕は文章を書くのが好きだ。頭の中にあるものを限られた言葉を並べて表現する。ああでもない、こうでもないと何度も言葉を並び替えて、時には全てを崩す。書きながら「自分は書けるのだろうか?」と考える。「書けるさ」と思えるときもあるし、「何を書いても仕方ない。どうせ誰も読まない」と思うときもある。書けたときも、完全に満足できることはほとんどない。ただ、自分なりにできることをやったときは他では得られないすがすがしさがある。ひとつの課題に取り組んでいるときは、だいたい数週間から長くて3ヶ月とか4ヶ月かかる。連続して執筆にあてる時間をとることは絶望的な状況なので、時間がとれたら書いて、次に時間がとれたらまたそこに帰ってくる。スケジュールと書こうと思う気持ちの調整も重要だ。だいたい何かに取り掛かっているときは書いてないときも頭の中のどこかにそのことが残っている。バックグランドのジョブとして、走行している感じだ。眠っている間にいつのまにか文章ができたら楽だろうけれど、きっとそれではつまらないんだろうな。

書いた原稿が掲載される雑誌はあまり発行部数は多くない。どれだけの人の目にふれるかわからない。だけどそこに最大限に良いものを書きたい。多くの人の参考になるものを書きたい。そう思っている。