失った「不可思議」

3月13日の讀賣新聞夕刊に、歌人白百合女子大学教授の井辻朱美さんが表題の文章を寄せている。

井辻さん自身、長年のファンタジー・ファンとして、相次ぐ異世界ファンタージ古典の映像化を喜びながらも、「やや複雑な思いもある」と書かれている。

そのひとつは技術の進歩によって、なまなましい映像が可能になったために、本来ファンタジーというものが持っていた彼岸性というか、現実とは違う手触り、空気感のようなものが失われたことだ。
(中略)
よく見えないからこそ恐ろしくもあり、よく語られないからこそ美しくもある、そういうファンタジー独特の気配のような、現実とは異なる質感を、リアルな映像はかなり打ち消してしまう。

ナルニア国物語では、ライオンの毛並みの一本一本を計算して描いているらしい。ここ数年の間のCG技術の進歩はまさに目を見張るばかりだ。今や誰しもどのような映像を見せられても驚かないし、真実の映像と合成された映像はもはや区別できない。完全主義として知られた黒澤監督は、撮影の際にタンスの中に実際に着物を入れさせたというエピソードを目にしたことがある。タンスは開かれないし、その中の着物も取り出されないのに。「夢」の中のカラスはCGではなく実写だ。

作られた映像は今後もよりその巧みさを向上させながら増殖し続けるに違いない。一昔前であれば目にすることのなかった映像を見る代償として、人々は想像する力を失い、以前は一人一人が持っていた世界観が小さく閉じこめられてしまうと考えるのは、自分がペシミストのせいなのだろうか。