石田先生のこと

大学4年生だった1984年の夏、電電公社の横須賀の研究所で学外実習(今で言うインターンだ)をした。確か1ヶ月くらいの期間だったと思う。京浜急行沿線の金沢文庫にある社員の独身寮に宿泊し、赤い京急の電車で野比駅まで行って、そこからバスに乗り換える。実習のテーマとして与えられたのは、C言語のお絵描きプログラムの一部だったが、FORTRANでシミュレーションのプログラムを少し書いただけの自分にはどうしようもないくらい難しかった。

わからないながらも「なんとかしなくちゃいけない」と思い、共立出版の「プログラミング言語C」を購入し、毎日それを読みながら勉強した。当然のことながら1ヶ月の学外実習はもちろん自分の勉強を待ってはくれないし、だいたい読んでもよく理解できなかった。それから25年。電電公社はNTTになって、駅も名前を変えた。仕事も職場も覚えていられないほど変わったけれど、「プログラミング言語C」の本と、入社してから購入した「UNIXプログラミング環境」は今も自分の手元にある。25年前と比べて本の数は増えたけれども、読むべき本は多くはない。まして、読まなくても持っていたいと思う本は少ない。この2冊はそうした本で、そして両方ともが石田晴久先生の手になるものだ。

2003年、TOMOYO Linuxについて最初に書いた論文がJNSA主催のNetwork Security Forum 2003で賞をいただいた時、審査委員の先生方の名前の中に石田先生のお名前を見つけてとてもうれしかったことを覚えている。授賞式には、ぼろぼろになった2冊の本を持って行き、石田先生に「先生のこの本で勉強しました」とご挨拶した。先生は、「ほう、そうだったのかい。それは良かった」とにこにこされていた。

次に先生にお会いしたのは、今年の2月、JNSA賀詞交換会の席だった。人ごみの中に小柄な先生のお姿を見つけて、近くに行き、「Network Security Forum 2003で賞をいただいたものです。今日はそのときに発表した取り組みについて、賞をいただきました」とご報告した。石田先生は、にっこりと笑顔で、「そうですか、それはどうもおめでとう」と言葉を返してくださった。

今日の夕方、石田先生の訃報に接した。自分は、先生の講義も講演もついに拝聴する機会を得なかった。ただ二度お会いしただけだが、先生の残された著作から確かに何かを学んだと思っている。石田先生こそは、日本のUNIXを育てた方であった。ソースコードは新たに書きおろされたものであってもLinuxの発展の背景にUNIXの存在があったこと、「プログラミング言語C」によって、プログラミングの世界を知った人の数を思うと、その功績は真に偉大なものがある。

今宵、多くの人たちがその足跡を忍び、先生を失ったことを悼んでいるであろう。自分もその末尾に加わり、先生の死を悼み、そしていつか先生から自分が学んだように、誰かに何かを残したいと思う。

石田先生、どうもありがとうございました。どうぞやすらかにおやすみください。