「快挙」の偶然

「メインライン化」について、2月からあちこちで取材を受けて説明したり、資料を書いたりしてきた。メールだけでも何度書いたか覚えていないほどだ。自分はよくわかっている内容を、それをほとんど知らない人たちに繰り返し説明するというのは、ちょっと不思議な体験だった。取材も執筆もあくまで説明をするために行っており、反響や見返りを期待しているものではないのだけれど、対応したことを忘れた頃に「見たよ」と声をかけてもらうのは、うれしいものだ。

今日は、5月22日の日経産業新聞の記事を見たKさんから「快挙、おめでとうございます」という件名のメールをもらった。Kさんは、同じ会社ではないがいわゆるグループ会社に勤めており、自分と同じ北大の出身だ。会ったことはないけれど、同窓会の幹事をされている*1。メールが届いたとき、それを開く前に「快挙」という文字がとても新鮮で、画面に見入ってしまった。それがどうしてか考えるともなく考えてみたら、会社で送ったりもらったりするメールでは、まず使うことのない言葉だからだろうという結論に達した。

メールの本文にはこんなことが書かれていた。

技術はわからない私ですが、記述から凄さはわかりました。
同窓の先輩の世界的快挙、とても嬉しく、鼻が高いです。
本当におめでとうございます。

確かに同窓の先輩には違いないが、先輩らしいことはしていないし、それどころか同窓会にもほとんど顔を出していない。メインライン化は、ひとつの到達点には違いないが、それが「世界的快挙」かと言われると、なんだか必要以上に評価されているようで、うれしいというよりも申し訳なく思ってしまった。もっともそれは、自分の責任というよりは、記事を書かれた日経新聞の宗像氏の筆力の影響だろう。記事では限られたスペースに、必要な内容が盛り込まれているだけでなく、明確なメッセージが伝わってくる。ZDNetの連載とは違った意味で、素晴らしい内容になっており、それが読んだ人の心を動かすのだ。

夜、仕事を終えて帰ろうとしてエレベータに乗ったとき、Mさんとお会いした。Mさんは自分がNTTに入社した際の大先輩で、現在は系列の会社で確か役員をされている静かで温厚な方だ。すぐに「お久しぶりです」とご挨拶したら、Mさんは予想外の言葉を返してそれが、今日二度目の「快挙ですね」だった。有楽町線豊洲駅まで歩きながら、Mさんもまた日経産業新聞の記事を読まれていたことを伺った。

メインライン化については、社内で表彰されたこともあり、今では社内でもある程度知られているが、それに対する評価は、KさんやMさんの評価とは微妙に違っている。奇妙なことに、より少ない情報しか知らないはずのKさんやMさんのほうが、自分が考えるメインライン化の意義(意味)に近い印象を持たれている。うまく言えないのだが、社内における評価はメインライン化(およびそれに必要なもの)をとても狭い範囲でとらえている。単純に言えば、「技術」がほとんどと受け止められているような気がする。実際はどうかというと、もちろん技術は重要なのは違いないが、技術以外のほうがむしろ難しいというのが自分の印象だ(これはプロジェクトにおける役割により変わるだろうけれど)。

*1:幹事をしていることを知っているのに会ったことがないというのは、同窓会に参加していないのがばれてしまう。