かすかな痛み

今日は用事があって会社を休んでいる。自宅からメールを読んでいたら、熊猫先生がgcのパッチを投稿していた。

このパッチについて、昨日会社で話をした。技術的詳細についてはわからないので、自分の観点はもっぱら、コミュニーケション自体に関するものになる。「今夜gcのパッチを投稿しようと思う」という先生に、「その前に、RCUについてコメントしてくれて、情報を教えてくれたPaulさんにお礼を言って、できれば先生がそれを見て理解した内容とやろうとしていることについて、確認を得ませんか?それから(確認を得た上で)対応するパッチを投げた方が良いと思います」と自分の意見を伝えた。「そうしなければ、Paulさんは先生が読んだこともわからないし、参考にしたことや、感謝されていることも伝わらないから」と理由を添えて。PaulさんはRCUの専門家であり紹介された情報もPaulさん自身が投稿したものだったが、5日前に投稿されたそのコメントは昨日までリプライを返していない。

先生は、自分の提案について、黙って聞いているだけで、そうするともしないとも言わないが、過去の経験からそうしたときは採用されないのがわかっている。いつもならそこまでであきらめるのだけれど、Paulさんにはお礼を言うべきだという気持ちが強いので、先生にその場で内容を確認しながら文案を作り、そして「使っても使わなくても良いけれど、送っておきます」とメールした。先生はやはり黙っていた。

長いつきあいで、先生の考え方やメールの書き方はだいぶわかってきたけれど、どうしてそうしているのかはわからない。(結果的に)交渉がもつれたり、印象を悪くしている「可能性」があるということは、その都度言ってきたが、それにより何かが変わった気はしない。

今もときどき、どうして採用しない理由を説明してくれないのだろうかと考える。それはもしかしたら、内容が難しくて理解できないと考えてあきらめているかもしれないし、自分の中では既に結論が出ているからということかもしれない。助言や提案、コメントはあくまで検討素材であり採用されなくても良いのだけれど、採用されないまま繰り返しそれを伝え、そして説明がないまま採用されないことには、一種の痛みが伴う。