バロメータ

1月に(主に仕事で)いろいろあって、かなり長い間精神的にダウンしていた。「(気持ちが)沈む時は沈んでいれば良い」と思っているので、沈むがままにまかせていたが、これまで生きてきた中で最大クラスだったかもしれない。沈んでいる自分を体験した。

本当に沈んでいるときは、何もやる気がしない。話したくないし、人と会いたくないし、買い物など外出もしたくない。実家に電話する気もしなかった。ばかげたことにメールの返事まで書きたくない、というか書けない。twitterも他の人のtime lineを眺めることはあっても何か書こうという気はしない。きわめて非生産的だが、通勤はできるし、通常の業務は支障なく行える(だからきっと会社の同僚はそんなに沈んでいたとはわからなかったろうと思う)。よくわからないけれど、できないことは気持ちに関連することであって気持ちを必要としないことは影響を受けないようだ。

気持ちが回復すると、少しずつできることが広がってきて、その変化を自分で観察していた。「やる気のでなさ」から深度(深刻さ)がわかると思った。今にして思えば克明に記録しておけば良かったのだが、思い出せる範囲で言うと、最初にtwitterに書けるようになって、次にブログを編集できるようになり、(気持ちを必要とする)メールの返信が書けるようになり、実家に電話できるようになった。そして、かなり良くなってプロジェクトのメーリングリストにメールを書けた(書きながら、「ああ、やっとこれが書けるようになった」と思った)。それとほぼ同時期に、キーマンズネットの原稿のドラフトを書いてみて、「これが書ければ大丈夫」と思った。そして、今日、久しく書きかけで進んでいなかった論文について、編集作業を行った。論文については、気持ちはあまり必要ないのだが、集中力を必要とするため調子が良くないと考えることができないのだ。

一番沈んでいたころは、定常的に微熱を感じ、食欲がでないせいか体重も少しずつ減っていった。微熱については、自律神経に関係していて、精神的なストレスが身体的な症状として現れているためだろうと思う。それは、極度な集中を必要とする状況で(たとえばオタワリナックスシンポジウムに出張したが発表資料が書けず、自分の発表が刻一刻と迫ってくるというような)何度か経験したことがある。それがさらに高まるとバオーになったりスーパーサイヤ人に変身するのかもしれない。