思い出す人々

おととい「電話営業」の話を書いたせいだろう。今朝、目をさますともう10年以上の前の過去の記憶が頭の中に「ロード」されていた。眠っている間に自分の中でバックグラウンド処理が走り、記憶のメモリーに複写されていたという感覚だ。

一人は英会話の教材を売っていた女性。20代の後半(当時のことだ)くらいの魅力的な人だった。喫茶店で待ち合わせて長い時間を説明を聞き、最後にたたみかけるように「どう、良いでしょ?」と聞かれた。僕は「良いものかもしれないが、自分はあまりやってみようと思わない」と正直に答えた。そうすると、「最初からやらないという抵抗心を持っていた」とかなんとか言われたが、気が進まないまで契約はしたくなかったから断った。それからもいろいろ話をして、最後は二人で横浜で食事をして別れた。支払いは割り勘だ。

もう一人は、その人には済まないのだけれど何の営業だったか覚えていない。ただ、20代後半か30代の男性で、その人の雰囲気はとても良く覚えている。「話を聞く」という約束で、喫茶店で話を聞いた。やはり自分でやろうとは思わなかったので、断ったが、その人はジェントルで何も文句を言わなかった(本来は文句を言われる筋合いはないのだが、経験的には文句を言われることが多い)。ピアノを弾く音楽が好きな人で、一緒に音楽の話をした。その人はジョンの魂のLPを褒めて、バッハのマタイ受難曲でペテロが3度キリストを知らない("Ich kenne des Menschen nicht.")と答える部分は涙なく聞けないと言った。とても優しい人だった、と思う。

その二人とはそれぎりでもう会っていないし、会うことはない。運命のいたずらで会ったとしてももうそのことがわからないだろう。だから僕にとって不必要な記憶なのに、今でも時々思い出す。"every once in a while"という英語の表現がぴったりだ。思い出す度、どこか少し気持ちがほろ苦くて、そうして、彼らは僕のことを思い出すだろうかと考える。