書評を書く

TOMOYOの連載でお世話になっている技術評論社の方から、「若い読者に向けてお勧めの書籍を紹介する記事を書いてもらえませんか?」とお話をいただいた。「技術系の書籍で600文字程度、読者がIT系の技術にもっと興味を持ってもらえるような内容」というのがお題だ。

2冊ほど候補を考えたが、結局以前ここの日記でも書いた「レボリューション・イン・ザ・バレー―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏」について紹介することにした。先日書いた日刊工業さんのコラムが880文字でそれよりさらに少なくて、このくらいの文字数なら1時間あれば書ける。忙しくなる前にと思い、依頼を受けた翌朝、さっと書き上げて、提出した。

記事(原稿)をメールで提出してから、送った内容を読み直してみた。もちろん送る前には自分で確認をして、納得できてから送信している。それにも関わらず「送って、自分の手を離れてから」読み直すのは、自分にとって一種の儀式のようなものだ。自分が編集していたときの原稿と自分の手を離れていった原稿はビット列としては同じでも、異なって見える。提出してから読み直すことによって、はじめてそれを客観的に読んでみることができる。少なくとも自分の場合は。考えて始めたわけではないけれど、いつのまにか執筆をするときは必ず行うようになった。

そういうことで送った書評を読み直していたらおもしろいことが起こった。二度、三度と自分の書いた書評を読んでいると、次第にその本を読みたくなってきたのだ。「この本を読んでみたい」という気持ちがどんどん高まる。「自分で書いた書評を見て、推薦しようとしている本を自分で読みたくなる・・・。自己完結している」と思うと、おかしくて一人でくすくす笑ってしまった。という話を知人にしたら「ナルシスト」だと笑われた。しかし、別に自分に酔っているわけではなくて、自分で書いた書評に自分で惹き付けられているわけだから、その指摘はちょっと的外れだ。

書評は字数の制限で書けなかったことがいくつかあるけれど、そのひとつは、書籍自体の美しさだ。この本はマッキントッシュに対する愛を感じるし、用いられている膨大なカラー写真や画面のハードコピーは、本当に美しい。今回、書評を書くにあたって、久しぶりに書籍を手にとったが、書籍の帯の書体にマッキントッシュの書体が用いられていることに気がついた。自分の書いた書評を読んでこの本に出逢う人がいたら、そう思うととても楽しく、来年の1月に発売されるSoftware Designが待ち遠しい。

レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏

レボリューション・イン・ザ・バレー ―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏