ハンター

今日、Japan Linux Symposiumにプレゼンテーションの提案を投稿した。

提案は英語だが150 wordの文章を考えることはそれほど難しくないし、時間もかからない。しかし、どんな内容を提案するかは素晴らしく難しい。イベントの概要と位置づけ、イベントの目的、想定される参加者などの情報から、求められる(期待される)であろう発表のイメージを描く。自分が発表できることがあるかを自問自答しながら考え続ける。テーマは最終的には、単に「発表できる」だけでは不十分で、自分としての意義(意味)を見出すことができて、準備が可能であることが条件となるが、自分の場合には、聞き手にとって楽しくかつ有用な内容とできるかも考慮するので、簡単には決まらない。

提案を考えるという作業は、そうした条件を満たす提案を探す作業だが、答えがあるかどうかわからない(求めるレベルを下げれば話は別だが)。あるかないかわからない答えを探す作業は苦しいし、考えている間は途中作業の成果も存在しない。本当に提案したいとき、提案しなければならないときは、提案内容を考えることが生活の中心になる。いつどこにいて何をしていても提案のことを考え続ける。余計なことはできるだけしないようにして、提案を考える上で妨げになる要因は可能な限り排除する。苦行層のように。

過去、何度かそうした経験を重ねて、「どうして自分はこんなことをしているんだろう」と考えたことがある。もちろん、そうして行う提案にはその目的が存在しているのだけれど、そうした目的を離れたところで、自分を魅了してやまないものがあることに気づいた。提案を考えるというこの苦しい作業、その全てのプロセスが自分は好きなのだ。

提案は通常発表を行うなどその目的のために行うものだが、自分自身の目的は提案がまとまった段階で終了する。自分が納得できる提案ができてしまえば、もうその提案が採用されるかどうかはあまり関係ない。提案を投稿する瞬間は、ハンターが獲物に目標を定めて引き金を引く瞬間に似ているのではないかと思う。ハンターはその一瞬のためにあらゆることを犠牲にして準備をする。獲物が難しければ難しいほど、その苦労は深く、喜びも大きい。