Software Design 2009年9月号に半田さんの記事が!

本日発売のSoftware Design 2009年9月号の連載記事、『「技」の履歴書』はなんと熊猫先生こと半田さんが登場している。全4ページが無駄にカラーの上、各ページに写真が掲載されている。オーバースペックだ(笑)。

「やりたい放題やる」という性格は知れ渡っていたようで

そんなことはない。(笑)
状況としては、自分が放送関係の仕事から5年ぶりにもとの所属に戻ったところ、現在はNTTに異動したKさんから「こんな人がいるんだけど、何か頼むことない?」と紹介されたのが、半田さんだった。半田さんはKさんの仕事を手伝っていたのだが、ちょうどその頃に作業が終わって手が空いていた。当時、よくKさんのところに半田さんが来ているのを見ていたが、今にして思うとあれは「何かやることありませんか?」という状況だったと思われる。Kさんは、「仕事は結構できると思うけれど、ちょっと癖があるかも」と言っていたが、「やりたい放題やる」ということは聞いていない。癖はたしかにあった(笑)。

本当はTOMOYO LinuxSELinuxも必要のない世界が一番いいんです

これについては、半田さんと自分の(唯一の)共通見解かもしれない(笑)。
ただ、自分は本心でそう思っているが、半田さんはそういうわりには、妙に(あるいはしつように)脅威を掘り下げ(開発)し、どんどんTOMOYO Linuxを難しくしている気がしないでもない。

SELinuxとの違いを説明するうえでは、SELinuxが考えていなかった部分でアプローチしたのが大きいと思います。

ここについては、多分認識が違っていて、自分としては、TOMOYO LinuxSELinux陣営に受け入れられているという実感を持つには至っていない。少なくともその客観的な証跡はないのは事実だ。半田さんがこう書いている根拠は、おそらくLinux Foundation Japan #8 SymposiumのBoFで、James Morrisに直接説明、議論をしたことだと思うが、残念ながら自分はその日BoFの会場を間違えてしまい参加できなかった。

コミュニティには本当に助けられています。

その言葉は本心だと思うが、残念なのはそうした感謝や気持ちを半田さんから直接伝えている機会が多くないことだ。自分は、毎日顔を合わせているし、つきあいが長いので考えていることがある程度は理解できているが、おそらくメーリングリストなどでしか接点がない方々には伝わっていないことがあるのではないかと思う。苦労の末メインラインまで入れることができたのだから、是非もっと積極的にコミュニティに自分の意見や気持ちを伝えて欲しいと思う。

TOMOYOの役割をSELinuxの人たち以外にもちゃんと知ってもらう必要がある

自分の場合は、SELinuxの人たちも含めてになるけれど、気持ちとしては同じ。メインラインにマージされたのは事実だけれど、まだ確固とした基盤を築いたわけでもなんでもない。「知ってもらう」と「使ってもらう」ための活動が重要だ。それらのためには地道な活動が欠かせないが、半田さんがインタビューで語っているように海外の講演(国際会議)のインパクトは大きい。「SELinuxTOMOYOを両方同時に使えるようにする」というゴールの前に、今のTOMOYOとその背景にある考え、目指している姿を紹介したいと思っている。Linux Conf Au 2010へ提案を投稿したのもそれが目的だ。