はてな市民の条件

はてなキーワードに登録している"tomoyo linux"について、しばらく前から編集ができなくなっていた。ログインしてから、キーワードを編集しようとすると、「はてな市民でないと編集できません」と怒られる。

twitterでつぶやいていたら、はてなの関係者と思われる方が「これでどうですか?」と言われたので、やってみたら編集できたのだけれど、それからしばらくするとまた編集できなくなっていた。

半分あきらめていたのだけれど、tomoyo linuxで検索すると上位にヒットするエントリーなのでなんとかしたいと思い、はてなサポートに問い合わせてみたら、こんな返事がきた。

しばらくご利用いただいていないため、市民権が失効し、ログインしても編集できなくなったものと思われます。恐れ入りますが、ダイアリーの更新を行っていただくなど、再度ご利用いただくことで、もう一度市民となりますので、その後、編集を行っていただければ幸いです。

どうやら自分は、知らないうちにはてな市民ではなくなっていたらしい。

ということで久しぶりに日記を更新してみた。これで、はてな市民に復活できるだろうか。

TOMOYO Linux on MeeGo 1.1

半田さんがMeeGo 1.1上でTOMOYO Linux 1.8を動かした。TOMOYO自体は、すんなり動作させられたようだが、動作しているところを動画で公開させるために、VMware上で動作させるのが難しい。世界中でMeeGoをVMwareで使おうとしている人がいるが、動かせているというのはほとんどいないようだ。

「MeeGoの開発で役に立つと思う」と、Nokiaのエンジニアに紹介した。使ってくれるだろうか。

Tetrisの日々

長年会社員をしているが、多分、今週はその中でももっとも忙しい週だろう。昨日は特に2件の重要かつ重い用件が重なるという一種のピークだった。

自分にとっての事情には関係なく、時間はいつものように過ぎて、イベントも終了した。買ったばかりのMacBook Proがプロジェクタに接続した瞬間にフリーズするなど心臓に悪い問題が起こったし、満足いくできばえというよりはかろうじてクリアしたという感じだ。

本当は昨日中に約束していたタスクがひとつ間に合わなかったので、午前中にそれを考え、午後からは明日の出張の用意を始めた。時間的にも精神的にも余裕がなくて、先週からは新聞すらほとんど読んでいない。そんな状況を振り返って、まるでテトリスをしているみたいだなと思った。降ってくるタスク(やらなければならないこと)を一生懸命クリアし続けるのにいっぱいで、手を止めたり、処理に失敗すると破綻する。そう考えると、ある意味、今ほど忙しくなくても同じようなことを繰り返してきたと言えるかもしれない。

という話を、お昼ご飯を食べながら熊猫先生にしたら「Tetrisではなくて、ぷよぷよだ」という意味不明の返事がきた。

エアコンの故障

昨年、リビングのエアコンが故障して買い替えたが、もう1台あるエアコンがある日突然動作しなくなった。三菱重工の「ビーバーエアコン」のシリーズで、とても長く利用している。修理の連絡のために保証書を探してみたら、なんと13年前の製品だった。

このエアコンは見た目が地味で、とりたてて便利な機能があるわけではないが、スイッチを入れるとすぐに冷風がでてくる。それはエアコンとしてはとても大切なことだということを、取り付けてくれた工事の方に教えてもらった。実際、それより遅く購入したダイキン製のエアコンは10年も経つ前に何度も故障し、今はもう買い替えてしまった。

ダイキンのエアコンを買い替えたときに、工事の人と話をしていたら「最近のエアコンは省エネ対応で、インジケータが減って修理が大変なんですよ」と言っていた。爪に灯をともすように省エネに邁進する結果、インジケータ類が減っているということだ。今回壊れた我が質実剛健ビーバーエアコンは、すごく唐突かつ無骨なインジケータがついていて、そこに「59」という謎の番号が表示されていた。謎の番号に対応する不具合は、ガスが足りなくなるか基板の故障ということだったが、実際に保守の方に見てもらうと、「ガスは漏れてませんね。普通は漏れないんですよ。ガス圧も計ってみましょう。うん、これはちょうど良い圧力ですね」と、まずガスについては問題なくほめられた。保守の方は、エアコンを連続運転モードにして、室外機の蓋やらカバーやらを外して、テスターでそこかしこの電圧(電流?)を計っていたが、その最中にファンが止まって、めでたく(本当はめでたくない)故障を立証することができた(修理愛好家としては、修理にきてもらって現象が再現しないことほど恥ずかしいことはないのだ)。写真は撮らなかったが、室外機の蓋を外したところには、かなりでかい基盤が2枚あって、その2つを交換しなければならない(かつ交換したら多分動く)と言う。

ここから修理の醍醐味で、内心どきどきしながら「おいくらでしょうか?」と尋ねると、「事務所に電話してみます」と言って確かめてくれたが、なんだかんだで3万5千円コースだ(うち6000円は出張点検ダイキン、でなくて代金)。

自分としては、漫画のタイトルではないが、「修理やる気まんまん」だったのだが、いつもするように「修理したほうが良いでしょうか?」と意見を聞くと、「基板を交換したら多分動くと思いますが、10年以上経過しているので他が故障するかもしれません」と案外弱気な発言だった。こちらとしては、もちろんそのリスクは知っているし、そうなった場合にもメーカや修理の方を責めるつもりは毛頭ないのだが、なんだか残念な気がした。

ということで、ジャパネットたかたの冊子や、今朝の新聞に入っていたチラシやらを持って、港北ニュータウンのノースポートに行って、エアコンがいくらぐらいするのか見に行ってきた。結論から言うと、6畳間用のエアコンであれば5万円も出せばそこそこのものが買えて、消費電力もかなり改善されているらしい。フィルタの掃除機能がついていると7万円以上が普通だ。しかも、今ならエコポイントもある。自分としては、どうにもならなくなるまで使いたいほうだが、事此処に及んであきらめた。新しく買ったエアコンは富士通製で、日立製のステンレスを使った製品とどちらにするか悩んだが、最終的には本体と室外機がコンパクトなところを買って選択した。

自分は電気製品を選ぶのは好きな方だが、エアコンの購入は似たようなものがやたら多くて、つまらない上に疲れる。本当は、いろいろな電気店のチラシを見比べて最安のものを選べば良いのかもしれないが、1件見るだけでもうお腹いっぱいだ。ということで、やることがやまもりなのに、貴重な土曜日の半日をエアコン探しに費やしてしまった。

今さらながら

以前日記で書いた「赤いスイトピーつながり」は、まだ自分の中で続いている。SONGSの中で、松田聖子さんが初めて日本人以外にプロデュースされて、とても大変だったという話をしていたのが印象に残った。「普通の音感を持つこの私が、何度やり直しても(音がずれていて)OKを出してもらえない」と言うからには、そのアルバムはさぞや素晴らしい内容に仕上がっているに違いない、そう思って、そのアルバム、Citronを探してみた。

Citron(DVD付)

Citron(DVD付)

Citronは、1985年に発売されたが、聖子さんのデビュー30周年ということで、最近リマスタリングされてDVD付きで発売されている。自分が入手したのは、1985年版のほうだ。まだ、良く聴き込んでいないのだけれども、「抱いて...」がとても深みがあり良い。この曲はサビの部分が何かのCMに使われていたので、多分聞いたことのある人は多いけれども、サビ以外の部分も、アイドルの曲らしからぬ歌詞も初めて接した。きびしいプロデューサーのせいかどうかわからないけれども、聖子さんの声もとても良く出ている。

自分は聖子さんとは同世代で、リアルタイムでその活躍を見てきたわけだが、「赤いスイトピーつながり」に巡り会うまでは、一枚もアルバムを買った事もなければ、借りたこともない。ただ、流行している歌を街で耳にしていただけだ。SONGSで、デビュー30周年を過ぎた聖子さんの言葉と歌、松本隆さんの言葉により、興味を持ち、今さらながら聴き始めた。自分の場合、あまり何かに関心を持つ事はないが、一度気になると、結構長く調べたり、集めたりする。それはアーティストに限らず、書籍でもWeb(blog)でもTwitterでも同様だ。そうやって知りたいと思う人も、知りたいと思うきっかけもそう多くはない。それだけにそこには何か意味があるような事を感じることもある。

近所のTSUTAYAでは、もう聖子さんのアルバムは「懐かしい曲」のコーナーに置かれていて、CDも一部しかない。そんなことに驚いたり、残念に思いながら、しばらくその作品を追いかけてみようと思う。

不思議な偶然

録画しておいた6月18日のNHKの番組「世界ふれあい街歩き」を見た。この番組は普段は見ていないが、この日は8月に発表を行うLinuxConの開催地、ボストンの回だから録画しておいたのだ。ボストンは昔、仕事で2年間住んでいたところだから、新聞や雑誌の記事だけでなくテレビ番組表でも見つけると気になるけれど、その前に目にしたのがいつか記憶にない。ボストンは、日本にとってその距離と同じく遠いところだ。

ボストンを取り上げると知ったとき、「またか」と思った。というのも、2008年にFOSDEM '08の発表でベルギーに行ったときにも、同じようなタイミングで弾丸トラベラーに取り上げられていたし、台北の発表のときもそうだった。不思議と発表することになると、その場所の番組や記事を目にするということが続いている。もっとも、それで番組や記事に事前に接することにより何かの災難を免れたとか、思わぬ発見をしたというようなエピソードは一切ない。ただ、純粋に「虫の知らせ」的な予告を感じているだけだ。今回のボストンの番組もそうだった。

このような経験をする度に、誰かが「これは決まっていたんだよ」と、教えてくれているような気がする。もし、本当にそうだとしたらそこにはどんな意味があるのだろうと考える。もし、何かの意志や意味があるとしたら、自分はそこを外れていないかとも気になる。もちろんいくら考えても答えは見つからないわけだけれど。